2007年08月17日

第十二夜 今と昔を売る店(前編)


写真:篠山城周辺 観光案内図

実は骨董に興味があります。
古丹波や古伊万里(古がつくのは主に明治よりも古いもののようです)、ムシロやよしずを編むのに使った重り用の木切れ、当時は各家庭で使われていた、はたおり機や糸巻き機の部品、大正から昭和初期頃の振り子時計などなど、時代を感じるものに気持ちが揺れます。陶磁器などは壊れるものが壊れずに今日まであるというところに、そのものがもつ力(運の強さ)を感じるのです。お皿でも徳利でも同時期に同様のものがたくさんつくられていますが、割れずにそれが残るにはなにか運と縁があるように思えるのです。また生活の中で人の手によって使われ、ぴかぴかに光るようになった木なども、時間が創りだす味を感じます。

不思議なのですが、多くの人の手を渡り歩いた骨董品をいくつか並べていると、当分はこの人のところに仮住まいするんだな・・・やれやれ少し休むか・・・といった「ちょっと一服」の気配を感じるのです。そして力を充電して、また時代と人を渡っていくのでしょうね(骨董は時間の渡り鳥のように思えます)。


写真:篠山城のお堀端から篠山市内を望む

僕の郷里の篠山は譜代大名の青山3万5千石(だったかな?と思って聞いてみると6万石でした)の城下町です。近年丹南町、西紀町、今田町などと合併して篠山市になりました。名物はいろいろあって猪肉・・・「ぼたん」といいます。赤みと脂肪の白さが際立ち、上手にまくとボタンの花のように見えます。ちなみに最近よく出没している鹿は肉が赤みがかっており「もみじ」と称されます。ほかにはヤマノイモ、マツタケ、黒豆、栗、丹波焼などもあります。
そして、夏の篠山といえばデカンショ祭りがあります。「どっこいせぃ」「出稼ぎしょ」
から旧制高校生がつくったという「デカルト・カント・ショウペンハウエルの頭文字をとった」というものまで諸説紛々。民衆の踊りですから最初の説などが常識的だとは思いますが、お盆の15・16日に行なわれます。

また、あまり知られてはいませんが、篠山市から隣りの丹波市にかけては日本でもかなり低いレベルの分水嶺があったと思います。旧西紀町の小唄にも「瀬戸にながれよか 日本海か」というところがあったと記憶しています。加古川か由良川か、降った雨がどっちに流れるか悩むのです(?)。日本各地に「水分かれ」とか「泣き別れ」とかの分水嶺を現す地名があるようです。丹波市の柏原は、今は加古川水系ですが、大昔は盆地にあった湖沼で日本海側の由良川水系ともつながっていたときがあり、川魚の分布にもその痕跡があるようです。

ともあれ、分水嶺の町は水がきれいです。きれいな水があるところにはおいしいお米が取れます。だから丹波のコシヒカリなどは知名度の割にはおいしいと思っています。
(つづく)  


Posted by alterna at 15:42Comments(0)