2007年09月28日

第十八夜「ロダン・ロダン・ロダン(後編)」



神戸市中央区は旧葺合区と旧生田区が1980(昭和55)年に統合されてできた区です。
話の展開がシリアスからパロディへと急ですが、その旧葺合区、大安亭市場には「ロダンの狸」という彫刻があります。モデルは界隈の人たちが創った物語のなかの狸くんです。「ロダン」の創った「狸」ではなく「ロダンの狸」という作品名です。

淡路島に住んでいた芝居好きのタヌキが神戸の葺合、大安亭という芝居小屋で評判の役者に芝居で勝負を挑みますが、負けてしまいます。意気消沈しながらも、タヌキは一座とともに修行の旅に出て、数年後、大安亭で堂々の芝居をして捲土重来を果たします。
町の人たちは頑張ったタヌキを「ロダンの姿が素晴らしい」と褒めました。
この「ロダン」・・「魯之男子(ろのだんし)」が略されたもので、「物事をまねるのではなく、精神を学ぶ」という意味の中国の故事だそうです。大安亭市場の人たちは必死で修行して芸と心を磨き、立派な芝居をしたこのロダンのタヌキを「頑張りの神様」「大願成就の神様」としてその後も尊敬したということです。
 (ふきあいの民話「大安亭ロダンの狸」より)
  http://www.kobeyaku.org/chuyaku/omake/hkmnw.htm
 ロダンの狸は大安亭市場の北側入り口に設置してあります。
 
 ロダンの狸が創られていった過程がまた面白い。
 葺合には和歌に詠まれた美しい町名、地名が残っています。また、芦屋から生田川辺りは明治のころまで、菟原(うばら)と呼ばれたところ、美しい娘と娘に恋をした二人の若者との悲恋の伝承を伝える処女塚(おとめづか)、東西の求女塚(もとめづか)などもあります。そんな地域の歴史を大切にしながら商店街の活性化を図ろうと、遊び心をもってみんなで考えていくうちに、新しい物語ができ、それがランドマークに繋がり、また、それにちなんだお店ごとの(一品ではなく)逸品も考え出されたりしていきました。主人公に狸を選んだのは、かつて大安亭市場に狸が住んでいたという言い伝えがあったからだとも伺いました。
 僕が素晴らしいと思う点は
・ 話し合いの場ができたこと
・ 界隈の成り立ちの史実を横糸に、自分たちで考えた主人公の狸を縦糸にして、物語りを編んでいること
・ 誰もが楽しく見ることができるランドマークに物語を結晶させたこと
・ 物語を商店の逸品として商品化したものもあること
などです
現代に創られたこの物語も数十年もたてば、すっかり界隈に根付き、町の伝承として、語られていると思います。


写真:左「ロダンの狸」/右「商店街のタペストリー」


ふきあいの民話にはこのほか「こころやさしい天狗」「かすがの坂の気のいいナマズ」「五郎太の木」などがあり、地域のマンホールのデザインにも取り入れられています。


写真:左「かすがの坂の気のいいナマズ」/右「ナマズのデザインされたマンホール」


街の魅力は人の生活が積み重なったものです。そうであれば、今この時代の取り組みも、将来の神戸文化の地層のひとつになっていくものです。個性ある取り組みは、時代の指紋として自分たちが存在した証しを後の人たちに伝えてくれるはずです。
 まちづくりの大切さはここにあるように思います。
 たぶんロダンも自分の名(意味は違いましたが、ロダンの名前も意識されているように思います)と同じ狸が、遠く離れた極東の街で創られたことをほほえましく見ていると思います。


写真:ロダン「青銅時代」


場所は変わって、神戸市役所1階ロビーにもロダンの作品「青銅時代」があります。
こちらはまさしくロダン???
肉体の力強さと内に宿る精神性が緊張感をもって表現されています。
ロダンの「青銅時代」はあまりにリアルなことから、生身の人間で型をとったのではないかと疑惑をかけられた作品です。こんなロダンも国立美術学校の受験に3回も失敗し、入学をあきらめたということですから、わからないものです。

なお、神戸市役所1号館は彫刻の宝庫です。1階ロビーにはロダンのほかマイヨール、ブールデル(作品は建物の外で、市役所南西の角)といった世界的巨匠の3作品と柳原義達、佐藤忠良、船越保武といった日本の具象彫刻の巨匠の3作品が鎮座しています。これらすべて1号館ができたときに、多くの方の寄附金で設置されたものと伺いました。

ともかく、これでロダンが3つ・・・「ロダン・ロダン・ロダン」でした。
お後がよろしいようで!!!!!
  


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2007年09月21日

第十七夜 「ロダン・ロダン・ロダン(前編)」


写真:「ジャン・ド・フィエンヌ(カレーの市民より)」

写真の彫刻の制作者はロダン。ブロンズで造形されたその人物は、立ち止まり、振り返って「さあ」と後に続く者たちを促しているようです。
行こうとするその先にあったのは、希望でしょうか?
約束された自由でしょうか?
それとも・・・・・。
 
 作品名は「ジャン・ド・フィエンヌ(カレーの市民より)」。〔これは裸体の習作(試作品)のひとつで、実際のものは衣服をまとったものが設置されているようです〕
英吉利と仏蘭西が戦った100年戦争(1337~1453)でイギリス王エドワード3世の軍隊がフランスの港町カレーを包囲しました。エドワード3世は町の代表6名が城門の鍵をもって投降することを条件に攻撃の中止を約束します。フィエンヌは選ばれた6人のなかで最年少の人物で、ためらう5人に「さあ行こう」と促しているかのようです。

 500年の時代を経て、カレー市はこの6人を町の勇気ある英雄とたたえ、その銅像の制作をロダンに依頼しました。しかしロダンは勇気ある町の英雄としてだけではなく、死を前にした人間の、恐怖に向かい合う心も表現したかったようです。両者の思いにはギャップがあり、カレー市が6人の像を市庁舎前に設置したのは1890年頃の作品の完成からずっと後で、ロダンの死後だったようです。

 このエピソードには政治的な立場にとって思い通りにならない芸術の真価のようなものを感じます。
個人的には注文者の意向に忠実に技量で応えることも、また、それを踏まえながらも自分の感性にどこまでも忠実であることも、生き方ですから両方あっていいと思います。ただ芸術家が主体的に選べる環境がその社会にあることは大事だと思います。芸術というのは時としてそれほどに尖っていて、たったひとつの作品が社会や国家にとって猛毒にも妙薬にもなることがあります。真に力のある作家にとっては宿命のようなものです。

フィエンヌの像は100年の時を越え、ロダンの思いをその表情に湛えながら、旧居留地にある神戸市立博物館の玄関で来館者を迎えています。博物館の開館に際して、これからの神戸文化の発展を願って、個人の篤志家から寄贈されたものとききました。
ここでは「さあ!ご覧下さい」と言っているかのようです。


写真:「神戸市立博物館」


なお、神戸市立博物館のある旧居留地は明治の開港とともに設けられた外国人のための区域です。その運営も外国人の自治によってなされていたことから、モダン、ハイカラといった港町神戸の風情をもっとも残す一角として、おしゃれな雰囲気を現代に伝えています。旧居留地が造成されはじめたのは神戸開港と同時であり、当時のヨーロッパの最新の都市計画に倣ったものらしく、今風にいえばデザイン都市の先駆けともいえます。

神戸に上陸した外国人がまず最初に外貨を交換するために立ち寄ったのが、京町筋に面する横浜正金銀行(現:三菱東京UFJ銀行)で、現在では「国際文化交流-東西文化の接触と変容」という旧居留地にふさわしいテーマ性を掲げた神戸市立博物館として運営されています。

この博物館ですが、特別展などで混雑しない時期は結構デートスポットとしていいと思います。静かですし、会話に困れば作品を「ああだこうだ」と言えばいいですし、夏も冬もエアコンが効いていて快適ですしね。
(つづく)


  


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2007年09月14日

第十六夜 路地裏の鶴



僕が物心ついた頃に流行っていた映画のジャンルにニューシネマがあります。往年のハリウッド映画が持っていた「観客に夢と希望を与えるハッピーエンド志向」に対して、反体制的な人物が刹那的なことに命をかけたり、体制に戦いを挑んだりして、最後には体制につぶされてしまうようなアンチハッピーエンドが特徴です。
Ex:俺たちに明日はない/明日に向かって撃て/真夜中のカウボーイ/スケアクロウ等

麻薬の仲介で結構な金が手に入ったことからスーパーバイク(ハーレーダビットソン)にまたがって、気ままな旅に出る映画「イージーライダー」はニューシネマの代表作のひとつです。ピーターフォンダがキャプテンアメリカという人物を演じていました。ほかには相棒にデニスホッパー、飲んだくれの弁護士をジャックニコルソンがやっていました。全篇に流れる音楽もかっこよくて、ステッペンウルフのBorn to be Wild(ワイルドで行こう)などは今も頭の中で鳴っていることがあります。ベトナム戦争の泥沼化やヒッピー文化全盛という時代背景があります。
キャプテンアメリカが着ていた星条旗をバックプリントしたジャンパーやプルバックハンドルのハーレーがかっこよくて、映画のポスターを部屋の中に飾っていました。今でもハーレーと川崎GPZ900Ninjya(トップガンでトムクルーズが乗っていたバイク)はリタイアしたら乗りたいと思うことがあります。

映画「イージーライダー」詳細:
http://www.axn.co.jp/movie/easyrider.html


ハーレーに乗り、ロックバンドも組んでいる板前さんがやっている日本料理のお店が南京町の路地にあります。お店の名は『鶴のひとこえ』。


写真:『鶴のひとこえ』外観

平成19年春から南京町西門入ってすぐ右の路地に引っ越しましたが、その前は南京町広場からひとつ西の路地にありました。前の店は細長いカウンターと、奥に6人がけくらいのテーブル席がありました。カウンターの内側の調理スペースは玄関脇から立ち上がっている昔の階段がカウンターの内側を斜めに通っていました。それでカウンター内で左側に寄って調理するときは階段に頭が当たらないように首が右に傾いていくことになります。マスターの鶴田君が首を右に傾げてちょっと窮屈そうにジャガイモなんかを剥いていましたが、それはそれでなかなか記憶に残るシーンでした。

引越し先の現在のお店は、一転してシャープなイメージでお店の感じも少しアップグレードになりました。前よりもちょっとかっこいいお客さんで賑わっているように思います。

作務衣姿のマスター鶴田君に、これまた和風スタイルが艶っぽくて愛想のいい仲居さんが奥さんの真理さんです。沖縄出身の板前さんの當眞(とうま)さんは、まさに「オキナワから来ました」という感じで、穏やかな南の海の風情があります。
お店が忙しいときなどは、民謡のお師匠さんをされているマスターのパパさんや近くで『ワンボイス(・・・要は「ひとこえ」)』というスナックをされているママさんら総出でお手伝いに来られています。みなさん人当たりの柔らかい人たちばかりです。
僕は鶴田君の素材に向き合う時の真剣で鋭い目つきが気に入っていますが・・・。
(僕は男を好む趣味はありません・・・・念のため)。

 素材は新鮮。マグロ入りのコロッケなどアイデアの品もあり、しかも僕の好きな焼酎「甕雫(かめしずく)」もあります。なかでもお薦めはサツマイモのケンピです。揚げたてのケンピにちょうどいい感じの塩味が絶妙です。
朝日新聞の某敏腕記者はこの「ケンピ」を最後のひとつまみまで「うまい!」と言って食べ続けておられました。是非お試しあれ。
  


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2007年09月06日

第十五夜 猫熊矢(Nekokumaya)

これは元町にあるおしゃれなプチレストランの名前です。10人くらい入ると一杯な感じです。
ショップカードでは大きな黒い招き猫?が左手を挙げて「こっち」と呼んでいます。
『猫熊』って・・・なんどいや?


写真:猫熊矢ショップカード


いきなり横道にそれますが「なんどいや」は神戸を代表する方言です。関西弁で「なんやねん」、関東弁で「なんなんだい?」といったところでしょうか。
長崎「ばってん」、江戸「べらぼう」、大阪「さかいに」、京「どすえ」、兵庫神戸の「なんどいや」と言うようです(林五和夫著「神戸の風」より)。
「神戸」ではなく「兵庫神戸」となっているところが?です。

神戸らしさを感じる洋画の石阪春生先生の感覚をベースにしていますが、神戸には旧兵庫を中心にした西の文化と大阪の商人たちが移り住んだ東灘、灘を中心にした東の文化があって、ちょうどトアロードあたりがふたつの文化の出会った場所、という大まかなとらえ方があります。

西側には大輪田の泊(兵庫津)にゆかりのある場所、雅やかな須磨、古くからの遺跡などがあり、古い神戸が多く残っています。
東側には明治以降に繁栄してきたやや新しい神戸が多くあります(古い遺跡や灘五郷などもあります。その意味では古い文化への新しい文化の乗っかり具合が東の方が濃いという言い方もできますが・・・)。
そのまん中がふたつの文化の隙間であり、北野、トアロード、旧居留地、元町など西洋からの文化が流入しやすかった場所で、結果としてどちらかというと東の文化により多くの影響を与えたといった理解をしています(相互に影響を与え合って一体となっていったという方がいいかもしれません)。

これが明治以降、西宮、宝塚、芦屋から神戸にかけて形成された洗練された都会的な雰囲気・・・阪神間のモダニズム文化であり、神戸のまん中は当時(主に明治から昭和初期)の最先端であった西洋文化の翻訳と(阪神間などへの)伝達をする役割を果たしたと捉えています。

それで「なんどいや」ですが、旧兵庫、つまり西の文化に親和性があるように思います。だから「神戸」ではなく「兵庫神戸」という言い方になるのかなとも思います。
いつごろからの言葉なのかはまったく知りませんが、「べらぼう」や「どすえ」と並んでいるのですから、相当古くからのものだと思います。味のある言葉です。

それで「猫熊」ですが・・・「熊猫」ならパンダですよね。
でも「猫熊」だから猫のような熊という想定なのでしょうか?
ショップカードの彼は猫のようにも熊のようにもみえますが、パンダには見えません。首には金色の鈴がぶら下がり、「招福」と書かれた小判を黒く太い手でしっかりと持っています。左手でお客さんを招いています。当人(当猫?)はインパクトがあってなかなかいい表情をしています。


写真:「猫」と「熊」の看板


ただ、実際にお店の看板をみると、「猫か熊か」ではなく、「猫と熊」がシンボルになっているようです・・・すみません・・・ただそれだけでした。
でも、フランスには「ネコクマ」と発音する町が実在するようで、『「猫」と「熊」』とともに「ネコクマ」もお店の名前に含意されているようです。


写真:お店の外観


お店は元町通り4丁目の真ん中辺りの南北の筋(北側)にあります。
無農薬野菜やフランス産ホロホロ鳥、スペインやイタリアの生ハムなど、食材にこだわりをもったとても感じの良いお店です。
ソムリエ兼コック兼共同経営者の大池さんと大橋さんの「大」「大」コンビが親切に応対してくれます。お昼の日替わりランチは1000円でリーズナブルです。
是非、彼(彼女)と行ってみてください。
  


Posted by alterna at 12:17Comments(0)