2007年11月02日

第二十二夜 「三宮・・夢のかよい路(1)」


写真:三宮交差点2007年10月



以前紹介した柳ジョージ&レイニーウッドの「フェンスの向こうのアメリカ」からの引用です。この歌詞は戦後間もない頃の横浜の情景がノスタルジーを込めて振り返られていて本当に名作だと思います。どの部分をとっても絵になるし、導入のマクラに使えます。神戸の話しを書くときに使えるということは、戦後の横浜と神戸が同じような物語を持っている証しでもあると思います。

エリアワンの角を曲がれば お袋のいた店があった
白いハローの子に追われて 逃げてきたPXから
今はもう聞こえない お袋の下手なブルース

このエリアワン・・米軍キャンプのあった場所の表記だと思います。
米軍キャンプ周辺の飲み屋で働き、リクエストがあればヤジの飛び交うなかでブルースも歌う。切なさとともに、生き抜いていく母の力強さも感じます。

神戸でエリアワンに該当するものがあるとすれば、イーストキャンプ、ウエストキャンプです。
イーストキャンプは現在の磯上公園辺りにあり、白人兵が中心。ウエストキャンプは黒人兵も多く、現在の神戸駅北側から新開地の間にあったと聞きました。かまぼこ型の兵舎が並んでいたようです。

デザインの山田芳信先生に伺ったことですが、多聞通りのウエストキャンプのゲート東隣りにあった福徳相互銀行の1階に「キャスバ」というダンスホールがあり、専属のフル編成のスイングバンドがあって、本国から空輸されてきた最新の譜面で毎晩演奏していたということです。そしてそこに出入りしていた黒人兵たちを介して、ダンス音楽やジャズのレコードが広まっていったということです。神戸の音楽文化の広がりに米軍キャンプの存在は大きかったようです。
また神戸には専属バンドをもつダンスホールも多かったようで、富士桜、あおい、新世紀、ソシアル、パウリスタ、アルドス、日綿クラブ、神戸クラブ、国際ダンスホールなどなど、神戸のダンス文化、音楽文化に与えた影響は大きいと聞きました。これらのダンスホールもほとんどが今はもうありません。

港では多くの物資が取引されます。
積荷を一杯にした船が神戸港に入ると、まず、積荷が海に投げ込まれます。当然はしけなどで回収され、どこかに売りさばかれていきます。陸揚げされるまえに減り、また、キャンプなどからも持ち出されていくのは想像に難くありません。
積み出し港での伝票と陸揚げ港での積荷とをチェックするアルバイトをしていた方が「先輩から帳尻の合わせ方をまず教えてもらうことから始まった」と当時を振り返っておられます。

終戦から昭和40年代初めにかけての神戸の活力のカタマリみたいな場所として知られたジャンジャン市場や国際マーケットは闇物資の売りさばきの場所でもありました。
(つづく)


写真:1987三宮 ※撮影 米田定蔵  


Posted by alterna at 14:40Comments(0)