2008年06月19日

第四十一夜 取って付けた?!



住宅地図で旧居留地を見ると、神戸市役所の南側に東町があって大丸があるところが西町となっています。2号線に接する部分が海岸通、北側にはかつては北町というエリアがあったのでしょうか、今では北町通という名の通りだけが残っています。
旧居留地の東町と西町との間に東から順に伊藤町⇒江戸町⇒京町⇒浪花町⇒播磨町⇒明石町と町名が連なっています。これは新しくできた居留地の区画の名前を東京から明石までの主要な都市の名前から当てはめたのではないかと思っています。
伊藤町は初代兵庫県知事の伊藤博文からだと思います。東と西は普通に考えれば思いつきます。その間の町名については日本を東京から明石・播磨まで凝縮したのではないでしょうか?
江戸町(東京)、京町(京都)、浪花町(大阪)と、ここまではスケールが大きいのですが、播磨、明石と急に身近になっています。播磨と明石で順番が逆なようにも思いますが、もともと神戸市北区あたりから播磨の国だったからでしょうか?
もしこれが事実としたら、まさしく取って付けたといっていい感覚ですね。でもどこか神戸らしいし、今となってはそれとして全く定着しています。




また、明治の開港で賑わった神戸港では外国の貿易商なども多く、日本土産として色々なものが売れたようです。そんななかに「神戸・薩摩」という焼き物の壷がありました。とにかく豪華な焼き物ですが、作り方は陶芸の歴史も伝統もお構い無しで、薩摩焼の素焼きの壷を仕入れ、九谷焼きの絵付師を招いて絢爛豪華な色絵を施し、神戸の窯で焼いたもので、昭和40年頃でも作っていたようです。結構高価なもので神戸市立博物館でも何点か収蔵しているとも聞きました。この産地不詳の「神戸・薩摩」という焼き物の存在を知ったときに、なんとも実用的というか、安直というか、取って付けたというか・・・しかし、ある意味で神戸らしいとも思いました。




話は更にそれていきますが、京都市内は碁盤の目になっていて、場所がわかりやすくなっています。
 神戸の場合は北を山側、南を海側で方角がわかります。
 そして、神戸では南北の道を「筋」か「坂」、東西の道を「通」と基本的に表示していることが多いように思います。
北野坂、ハンター坂、生田筋、東門筋、鯉川筋、伊藤町筋、江戸町筋、京町筋、浪花町筋など特に旧居留地で「筋」の表示の使い方が顕著に思います。
東西は異人館通、中山手通、下山手通、三ノ宮中央通、北町通、前町通、仲町通、海岸通などやはり旧居留地で顕著です。旧居留地ではほぼ「筋」と「通」で表示されています。
 取って付けたという感覚ではありませんが、多少なりとも法則性があるのは面白いと思います。




最後に取って付けた話をもうひとつ。
 神戸市は野外彫刻が多い街です。僕が気に入っている作品として第八夜でご紹介した春分と秋分の日の年二回、作品の影が無くなる日時計「55.5°」がありますが、今回は「ウェザー ドール」(関 正司作)をご紹介します。
旧居留地の筋と通の写真を撮って回っているときに旧居留地の一角で久しぶりに出会いました。跳び箱をしているような3人の女性(?)はステンレス製で、ビルの間をすり抜けてくる気まぐれな風に吹かれてゆっくりと動きます。風の流れを飛び越えているようにも見えます。20年ほど前に知ったとき、その垢抜けたセンスのよさに神戸らしさを感じたのを思い出しました。
作品の場所は明石町と海岸通の間に僅かに残る「前町」のNTT西日本新神戸ビルの東側です。
  


Posted by alterna at 14:07Comments(0)