2007年08月03日

第十夜 陸にあがった洋食屋さん(レストラン「ハイウエイ」)

第十夜 陸にあがった洋食屋さん(レストラン「ハイウエイ」)
写真:小出楢重作のおしゃれな機関車

神戸の洋食屋さんで紹介しましたが、西洋と神戸を結んだ日本郵船の客船「浅間丸」のコックさんが始めた洋食屋さんのひとつにレストラン「ハイウエイ」があります。
神戸の外国人たちが北野町の住居(異人館)から(旧)居留地の仕事場に通った通勤路であるトアロードにお店があります。水色で書かれた看板は目立たないですが、どことなくレトロな感じを今に伝えています(直感的にいいますとレトロモダンの感覚は神戸らしいと思っています)。
阪神大震災では一時、別の場所での営業を余儀なくされましたが、元のトアロードに戻って営業されています。

 1932年(昭和7年)にオープンしたこの洋食屋さんを「ハイウエイ」と命名したのは、知る人ぞ知る文豪谷崎潤一郎先生です。初代の大東氏が谷崎潤一郎先生と懇意だったらしく、縁あって名付け親となったようです。谷崎先生は確か関東大震災(大正12年)で神戸に避難してきた文化人の1人です。
 時を同じくして、大正から昭和初期にかけての阪神間の繁栄、ロシア革命などによる亡命ロシア人音楽家などの活動、等々が重なり、西宮から芦屋、神戸にかけて独特のモダニズム文化が形成されていました。
洋画も当時は前衛芸術のひとつです。洋画家たちのなかにも、午前中は芦屋などのアトリエで仕事をして、午後はトアロードのカフェでくつろぐといったライフスタイルを楽しんだ人がいました(洋画家小出楢重などはそんなひとりです)。
 そんな時代背景のなかで、谷崎先生も大東氏とめぐり合ったのでしょう。銀河の中心核のような、人・もの・情報の磁場ができていたのだと思います。

第十夜 陸にあがった洋食屋さん(レストラン「ハイウエイ」)
写真:ハイウエイの入り口付近

明治の開港がなければ神戸の繁栄はなく、神戸の繁栄が無ければ日本郵船は神戸になく、関東大震災がなければ谷崎先生は関西になく、谷崎先生が初代のオーナーと知り合いでなければ「ハイウエイ」という名の店はない・・・・∞。
歴史の偶然は必然の絡まりのように奇なる運命の軌跡を描きます。
 街の物語(文化)を掘り下げるときの面白さがここにあります。

 現在、ハイウエイを切り盛りするのは3代目マスターの實さんと娘の恵子さんご夫妻[ご主人は村上志恒(しこう)さん]です。
4代目になる村上さんご夫妻は街の魅力発信に熱心で、神戸コンシェルジェマップで神戸ビーフ、パン、スィーツなどのお店を紹介されるなどの活動を仲間たちと一緒にされています。

 僕のお薦めはやはりシチュー料理と網焼きステーキです。
 ある本では、東京の洋食は揚げ物が多いのに対して、神戸ではシチューに伝統の味が残されていることが多いという紹介がりました。船上では油は危険だったからでしょうか?
 ともあれ、静かで、シンプルな空間はチリリンというドアベルの音とともに、味のタイムスリップを経験させてくれます。

P.S
レストラン ハイウエイは平成19年11月に、
おしゃれなトアロードから神戸らしい北野に移転されてます。
住 所: 山本通2丁目2-13
URL: http://www.kobe-highway.com/


Posted by alterna at 12:16│Comments(0)
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