2008年10月10日

第四十九夜 名トランペッター右近雅夫さんにブラボー!!!


 今年(2008年)は第1回のブラジル移民の人たちが、1908年4月28日に神戸港を出発し、6月18日にブラジルサントス港に到着してから100年目に当たります。ブラジルには世界最大の日系人コロニーが形成されており、その数140万人とも150万人とも言われています。近年は6世の子が生まれるまでになったようですが、ここまでにいたる道のりは決して平坦なものではなかったようです。
 
神戸港は約25万人の人たちがブラジルを中心とした南米に旅立った港です。移住のために日本全国から集まった人たちが出港までの10日あまりを過ごし、移住先の文化や言葉などを習得した場所が鯉川筋を登りきったところにある「旧神戸移住センター」です。センターは1928年に開設、1971年に閉鎖され、その後は色々な使われ方をされましたが、現在耐震補強のための改修工事が進められています。ここから旅立った日系ブラジル人の人たちにとって、センターはまさに「懐かしい我が家」のような場所でしょうし、神戸の港文化を象徴する場所でもあると思います。

ガリンペイロ(Garimpeiro)・・・ポルトガル語で「砂金採り」を意味するそうです。ポルトガル語が公用語のブラジルでは一攫千金の夢を追いかけて山や谷に入り、宝石を掘り当てたり、砂金を採ったりする人たちのことを指す言葉のようです。
 こんなエピソードを聞きました。
日本からブラジルに移住した家族が離散し、幼い兄弟二人が路頭に投げ出されました。二人はコインを投げ、道路の右と左のどちらを歩くかを決め、二度と出会うことは無いという覚悟で、それぞれの道(未知)を歩くことにしました。結果として一人の子はカードゲームの世界で名をはせる世紀の賭博師になり、もう一方の子は(歯)医者となって、二人とも自分の人生をつかみとり、行き倒れにはなりませんでした。生き抜くために前に向かって歩いていったこの二人のエピソードに、僕はどうしてもガリンペイロという言葉が重なります。「人間の強さ」と「運」を物語るエピソードだと思います。
 因みに西部開拓史の頃、カリフォルニアで金が見つかってゴールドラッシュが起こりますが、この頃砂金採りが歌ったのが「愛しのクレメンタイン」です。このクレメンタインは実在の女性のことではなく、砂金という「愛しい存在」のことだったとも聞いたことがあります。
  ただ、OK牧場の決闘を描いた西部劇「荒野の決闘」では、クレメンタインは美しい女性教師として出てきます。ヘンリー・フォンダが演じた名保安官ワイアット・アープは、「好きです」という言葉が言えず、「クレメンタイン・・・本当にいい名前ですね(または「クレメンタインという名前が大好きです」という字幕もありました)」というセリフを残して去っていくラストシーンは名場面だと思います。




第四十九夜 名トランペッター右近雅夫さんにブラボー!!!
写真:北の坂にあるジャズストリートのプレート

 1955年(昭和30年)。神戸出身の伝説の名トランペッターが神戸港からブラジルに渡りました。その人の名前は右近雅夫さん。
 昭和28年に神戸にきていたジャズの巨人ルイ・アームストロングは、二十歳そこそこの日本人の若者が吹き込んだレコードを聴き、しかもその奏者が目の前にいる右近青年と知ったとたん「OH MY BOY!!」と言って抱き寄せたというエピソードが神戸ジャズストリートのホームページで紹介されています。右近さんは関西学院出身で、「デキシーランド・ハートウォーマーズ」というジャズバンドの基礎を作り、昭和20年代に神戸を中心に活躍されました。神戸はデキシーランドジャズ(デキシーランドはアメリカ南部を指す言葉)のメッカとも言われるようですが、デキシーランド・ハートウォーマーズと右近さんの存在が大きく影響しているようです。
 その右近さんが10月4・5日に行なわれた神戸ジャズストリートに出演されていました。自身3回目のジャズストリート参加ですが、ブラジル移住100周年に演奏されるのもなにかしら縁を感じます。日本を離れて半世紀以上、今は実業家として成功されていますが、どんなときもトランペットは一緒だったと話されていました。


第四十九夜 名トランペッター右近雅夫さんにブラボー!!!
写真:演奏する右近雅夫さん(中央)

「未知の大陸に多くの日本人が夢を追いかけたと思いますが、成功と失敗を分けたのは何だったと思われますか?」という問いに、
「くよくよ考えずになんとかなると常に楽観的な心をもつこと」と答えてくださいました。雰囲気も目元のしわも演奏される音楽と同じで、優しく、包み込むような豊かさを感じる人でした。

 歴史の偶然は50年以上も前の物語りを僕に披露してくれました。右近さんの歩まれた人生はあまりに「自然体」そのものという印象をうけました。
「50年以上日本を離れてるけど、関西弁だけは忘れてまへん」ユーモアたっぷりにステージで話され、久しぶりの神戸とジャズを自身楽しまれていました。

 右近雅夫さんいつまでもお元気で!!!



Posted by alterna at 11:13│Comments(0)
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今年も盛況のうちに終了しました。
このジャズストリートが終わると、神戸はぐっと秋の気配になります。

今年の話題は17歳のトランペッター、マロ・マズリエさん。


大先輩に囲ま...
第27回神戸ジャズストリート【神戸トピックス】at 2008年10月21日 22:36
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