2009年10月09日

三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その5-

 すぐそこにハンター坂が見えていましたが、路地を求めて左に曲がると、庄屋をされていたという旧家の建物がありました。焼き板の塀が途中でレンガ造りになっていて和洋折衷の造りです。コの字に進みまた路地を折り返すと、先ほどの旧家の建物の後ろに出ました。この細い三叉路はグリーンと白を配色された壁と石垣がうまく調和していました。


写真:[右]旧家の板塀/[左]続く路地


写真:[右]路地からみえる西洋風建築/[左]淨福寺を示す石柱


この路地を登るとすぐ山麓線に出ました。道の向こうに淨福寺を示す石柱がたっています。広くなった坂道を少し登ると左手に龍が身をくねらせる彫り物が目印になる淨土宗淨福寺があります。坂はすぐに突き当たりになりますが、突き当りの左にハンター坂の名称のもとになったハンター邸の門扉跡があります。左手奥には家の中から楠の大木がそびえている家がありました。


写真:[右]淨福寺/[左]旧ハンター邸門扉跡


写真:[右]楠が突き出た家/[左]ふくろうも見守る北野交番


 私達は路地を引き返し、再び山麓線に出て左折。
 すぐ見えてきたのが丸いアーチ状の屋根が特徴的な北野交番です。
「交番内西側にはステンドグラスがあって、中に入って見せてもらえますよ。また交番の屋根には石造りのふくろうさんが置いてあって、夜も見張っているんですよ」
 山麓線を少し歩くと日本では珍しいジャイナ教の寺院が見えてきました。
「ジャイナ教は不殺生を教義とするインドの宗教で、昆虫といえども生き物を殺せないので農業やインド料理などの職業に就かず、貿易商、宝石商の人が多いようです。信者たちは入り口で靴を脱ぎ、地下で沐浴して身を清めてから、2階で礼拝します。この寺院に使われている大理石はインドから取り寄せた本格的なものです。」その日は寺院の入り口に靴が2足脱いでありました。



写真:[右]ジャイナ教寺院/[左]ジャイナ教寺院の東を左折


写真:[右]テディベアミュージアム/[左]居留地から移設された門柱


 ジャイナ教寺院の前を東へ、一つ目の辻を左折して坂道を登ると、日本で最初にできたテディベアミュージアム(ユダヤ系アメリカ人が住んでいた邸宅で、入り口ドア付近に「メズーザー」という魔よけがついています)、そのすぐ上隣りに重要文化財「萌黄の館」があります。これはアメリカ総領事のハンター・シャープ氏の自宅だったものですが、その後元神戸電鉄社長小林氏の所有になり、もえぎ色をしていることから「萌黄の館」と呼ばれています。神戸市に残っている異人館のなかでも秀逸なもので、外観のデザインが大変きめ細かく整っています。萌黄の館を右折すると北野町広場に出ました。広場の手前にはレンガ造りの門柱がありますが、これはもともと居留地83番(神戸市立博物館の向かい側)にあった英国商館(ジャーデン・マセソン商会)にあったものが、こちらに移設されています。(この門柱を通って階段を下りると、異人館「もえぎの館」の入り口があります)


写真:萌黄の館


写真:北野町広場


北野広場は北野観光の中心的な場所で、即興で文章を書いてくれる・・・
(「三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その6-」 へつづく)   


Posted by alterna at 12:32Comments(0)

2009年09月30日

三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その4-

 さてその路地を進み一つ目のT字路角。
「ここが日本をこよなく愛したスウェーデン人のキャサリンさんの邸宅で、まっすぐいくとおしゃれな玄関を見ることができます。神戸女子大の寮として使われていたこともあります。所有者は変わりましたが、今も建築当時の美しい建ち姿は印象的です。
私達はこの角を左折して異人館通に向かいました。
「キャサリン邸の庭にはどんぐりの木がいっぱいあって、秋になると路地に可愛いどんぐりがたくさん落ちてきますよ」



写真:[右]北野ホテル近くの路地入り口/[左]路地へ


写真:[右]路地へ/[左]路地は続く


写真:[右]・[左]キャサリン邸沿いの路地


写真:シュウエケ邸


路地から異人館通にでるとそこには「シュウエケ邸」がありました。
 「グリーンと白で構成された三角屋根の西洋風の建物ですが、屋根の先端にはシャチホコが乗っており、所々に菊の文様が配置されるなど和風の意匠を随所に取り入れてあります。浮世絵などのコレクションが有名です。シュウエケ邸の東側も異人館ですが、現在は中国の方が住まれています。」
 シュウエケ邸からすぐ山側に急な坂道の路地が続いています。こちらも関西ユダヤ教会などを見ながら北野に向かっていけますので魅力的でしたが、この日はシュウエケ邸の少し東から北東に入って行く路地を選びました。おそらく観光化される前の北野界隈はこのような風情だったのではないだろうかと想像してしまうような、日常にある非日常的な路地でした。



写真:[右]再び路地へ/[左]元ボリビア領事館


写真:[右]昔は竹垣だった塀がある路地/[左]玄関は一段高いところに


写真:路地は続く


写真:[右]・[左]神戸華僑総会のレンガ塀


写真:そして路地は続く


路地に入ってすぐ目に入るのが元ボリビア領事館だった建物で、現在では個人の方の住宅になっています。少し進むと小さな四つ辻がありますが、その角にあるのがJR西日本のゲストハウスです。
「このあたりの家は屋内に日光を十分に取り込むために路地から一段高い所に玄関を作り、玄関までのアプローチは階段を使うような作りが多いです。戦前などではこの細い路地で日本人と外国人が井戸端会議ならぬ路地端会議をしている光景がよくみられたようですよ。外国人の家の玄関先には、毎朝大きなビンに入った牛乳と長いパンが立てかけてあるといった光景がよく見られ、その路地を豆腐屋や魚売りなどの物売りの声が響いていたみたいです。『手手(てて)噛む魚(とと)』・・・手を噛むくらいに新鮮な魚・・・というかけ声を発して魚を売りに来ていたとも聞きましたよ」と森山さん。
 さらに進むと右手の塀がレンガ造りになりました。「ここはもともとドイツ人の方の邸宅で、南側にベランダや出窓を設けるコロニアルスタイルの建物で、現在では神戸華僑総会の所有になっています。使われているレンガは古いもので、震災で一部が壊れたときは元フロインドリーブの暖炉のレンガを補修に使ったようです。この辺りには異人館の画家と呼ばれた故小松益喜画伯がよく描かれていた場所がありますよ。」


 すぐそこにハンター坂が見えていましたが・・・
(「三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その5-」 へつづく)   


Posted by alterna at 10:56Comments(1)

2009年08月31日

三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その3-

 ムスリムモスクを通り過ぎると、トアロード(山本通3丁目角)に出ます。交差点のすぐ海側(南西)に北野工房があります。これは北野小学校校舎を有効利用したもので、レトロな空間に卒業生たちの思い出の場所を保存しながら、職人たちが技術を見せ、体験でき、作品(商品)を買うことができる工房になっています。観光バスの駐車場もあり、北野観光の中継地点になっています。

 トアロードは明治の開港以来、北野に住んだ外国人が仕事場である居留地に通った通勤路であり、その家族達の生活路でもありました。このおしゃれな名前の坂道は、西洋文化が生活の場に最初に根付いていった場所であり、ベーカリー、クリーニング屋、仕立て屋などのお店が軒を連ねる、日本の最先端な場所のひとつでした。トアロードの名前の由来は「鳥居があったことから、トリイロードが訛ってトアロードになった」など諸説あるようですが、明治から戦後すぐまでトアロードの突き当たりにあったトアホテルに由来するというのが一般のようです。
 このトアロードを少し昇ると朝食が有名な神戸北野ホテルがあります。北野ホテルの向かい側に異人館の建物が見えます。「もとはイギリス人のビショップさんという方の邸宅でしたが、現在では東天閣という北京料理のお店になっています。」



写真:北野工房


写真:異人館を生かした北京料理店


写真:神戸北野ホテル


 北野ホテルから少し坂を登ると古いレンガ塀に囲まれたマンションがあります。この手前を右に曲がると風の回廊のような路地が延びています。近所の方は「この路地はとても気に入っています」と言っておられました。カップルでゆっくり歩くには最高だと思います。ココから北野まで、路地ルートです。
 日常生活のなかで使われてきた身近な生活路である路地は路地につながり、思いもよらない場所に連れて行ってくれます。そこには生活者である住民だけが知っているロジックとマジックがあるように思います。


 さてその路地を進み一つ目のT字路角・・・
(「三宮~北野界隈編:路地に潜むロジックとマジック -その4-」 へつづく)
  


Posted by alterna at 13:12Comments(0)