2007年10月05日

第十九夜 「懐かしい・・・」

第十九夜 「懐かしい・・・」

20代の女性二人と話していたときに、ひょんなことから森永チョコボールのケロちゃんの話になり、おもちゃの缶詰へと繋がっていきました。チョコボールの取り出し口であるくちばしを引っ張ってあけたときに、金か銀のエンゼルが出てくれば(銀は数枚必要だった?)、おもちゃの缶詰がもらえました。「おもちゃ」・・・しかも缶詰・・・一杯いろんなものが入っている・・・子供心にワクワクしたのを覚えています(残念ながら当たることなく、大人になりましたが・・・)。
「おもちゃの缶詰を一杯持っている人がいますよ」
「まだ当たるみたいですよ」
僕にしてみれば遥か35年以上前のことです。20代の女性からおもちゃの缶詰のことを聞けたことにびっくりするとともに、懐かしい感覚が湧いてきました。

オードリーヘプバーン扮する奔放に生きる女性が窓辺に腰かけてギターを弾きながら「ムーンリバー」を歌い、ジョージ・ペパード扮する売れない作家がそれを別の窓から微笑ましく見つめる・・・・映画「ティファニーで朝食を」はテレビのロードショーでみたくらいですが、おしゃれな映画だと思います。
ピーナッツのお菓子だったと思いますが、そのお菓子には子供が喜ぶ「おまけ」がついていて、作家はその「おまけ」の指輪を宝石店「ティファニー」で彼女に渡そうとします。当然相手にされませんが、やりとりを見つけ、寄ってきた支配人らしき初老の男性が「・・・にはまだおまけがついているんですね。子供の頃よく集めました。懐かしい・・・」というようなこと言って、おまけの指輪に二人のイニシャルを彫ってあげていました。細かいやりとりは不確かですが、子供ながら「粋な優しさ」を感じて、今も一押しのシーンです。

なぜ「ティファニーで朝食を」かといいますと、「おもちゃの缶詰」に懐かしいと思った僕の感覚が、宝石店の支配人が「おまけ」を見たときの「懐かしい」と言っていたシーンを思い出させたからです。僕と支配人の「懐かしい感覚」はたぶん同じようなものだったのだろうな、支配人の懐かしいという思いが、粋なサービスに繋がったのだろうな、と連想したからです。

ついでに思い出した僕の「懐かしい」を披露させてください。
写真の品物は昭和40年代前半に実際に僕が使っていた「べったん(めんこ)」です。関西では「べったん」というのが一般と聞いています。打ち下ろしたときの音からきている名前でしょうが、非常にわかりやすく直接的です。

この遊びはそれぞれが思い思いの「べったん」を地面に置き、ジャンケンで順番を決めて、打ち下ろしてどれかをひっくり返すゲームです。ひっくり返せばもらえます。僕は気に入った絵柄を常に狙っていました。「なんで俺ばっかりを狙うんや」などと言われたりもしました。

この単純な遊び「べったん」にも子供ながらの戦略というのがあって、ひっくり返すのが難しいように工夫をします。ろうそくの蝋を裏面に塗ったり(そのころ、僕の地域ではこれを「ろうべん」と呼んでいました。なぜかはわからないです)、二枚を糊で重ねたり、食用油に漬けたり(「あぶらべん」と呼んでいました。この油で母親はてんぷらを揚げていました)・・・こうして重くしてひっくり返されないようにしました。しかし気に入った絵柄はもったいないので、加工せずに宝物としてとっておきました。今残っているのはほとんどが保存用に取っておいたものです。

第十九夜 「懐かしい・・・」
写真:むかしなつかし、べったん


収集癖が懐かしさを封印してくれていて、これらは数十年ぶりに再会を果たした品々です。なかなか昭和のレトロモダンが残っているでしょう。

当時はどんな小さな町にも商店が集まったところがあって、なんでも屋(萬屋)とか駄菓子屋が必ずあり、子供の集まる場所でした。いろいろな駄菓子のほかに「べったん」「ビー玉」「独楽」「凧」など、いろいろなおもちゃを売っていました。今駄菓子屋に代わるものがあるとすれば、コンビニがそれだと思っていますが、利用者はあらゆる世代になっているのが、少し違っています。
そういえば今、子供たちだけが寄り合える居場所(もちろん親は近くにいません。年上の子が小さい子の面倒というか、保護者の役割もするのです。そんななかでだんだんと責任感というか、年長という自覚が生まれてきていたように思います。)というのはなかなか無いですね。
そこはまた、子供だけの文化の伝承がされていた親には秘密の情報交換の場所であったと思います。

いやはや「なつかしい」



Posted by alterna at 17:39│Comments(0)
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