2007年11月14日

第二十四夜「土をねる人・・・市野雅彦」

第二十四夜「土をねる人・・・市野雅彦」
写真:市野雅彦作“彩泥器”

丹波焼は平安の頃からの陶器で、兵庫県では丹波立杭周辺は焼き物文化の中心的な位置を占めています。常滑、備前など六つの古くからの窯に数えられています(六古窯)。日常の様々な器が作られてきており、水甕や徳利、特に徳利は種類が豊富です。江戸時代の初めまでは水漏れ防止に使った仕上げの土が赤く発色したことから、赤どべと言われる器が造られます。土のよいのが取れなくなり発色も茶色くくすんでくると栗の皮みたいな色から栗皮釉(くりかわゆう)といわれています。江戸後期になると、伊万里などの白磁に負けまいとして白い土を使った白化粧(白丹波)が造られるようにもなります。
徳利には酒屋の名前を書いたものが多く出ています。通(かよ)い徳利とか貧乏徳利とか言われますが、これは、当時のお酒やしょうゆが計り売りされており、徳利を買う余裕が無い民衆が酒屋に徳利を貸してもらい、それでお酒などを買っていたためについた名前です。計り売りする時の注ぎ口が施された容器が片口(かたくち)の鉢です。生活文化が伝わってきます。この通い徳利などは、いまでは居酒屋のデスプレイに使われるくらいです。多く出回っていたものなので、骨董屋さんでも3~5,000円くらいであります。

第二十四夜「土をねる人・・・市野雅彦」
写真:大雅窯


「200年後にはこれが丹波焼や!!と言われるかもしれん。そんな思いで造っとるんや」
 これは僕の同級生であり、いまや日本を代表する陶芸作家となった市野雅彦の言葉です。

「おう、よう来たな」
名前が売れても、作品が売れても、本人はいたって素朴で高校時分の飾り気のない風采と言葉で迎えてくれます。
 「大雅(たいが)窯」という看板を背負って、丹波立杭の静かな自然と向かい合って、今日も面白い作品を創り続けています。素朴さとあったかさと茶目っ気とが色彩の妙で造形され、炎との対話を通して一つひとつの作品に凝縮されています。

 雅彦は作風を意識的に変えようとしてきたと言ってました。
「今あるフアンを失うことになるかもしれんと思うと、やはり変わっていくことは怖い。けど変わらんかったら、新しいフアンを獲得することもできん。生き残るためにはやっぱり変わらんといかん」といいます。

第二十四夜「土をねる人・・・市野雅彦」
写真:大雅窯標識


国道176号線の古市交差点から左折して国道372号線に入り、コンビニエンスストアのある四斗谷の信号を左折して数分走ると、小さな赤い矢印の道標が「大雅窯」のある山すそに導いてくれます。この矢印にはイカの足のようなものが何本か生えています。見ようによっては日干しになった赤いスルメイカのようにも見えます。このとぼけた道標は雅彦の感性をよく表しているように思います。なんとも「ほほえましい」のです。作品にもそんな感覚が良く出ています。
 
 2006年から兵庫陶芸美術館が開館しています。神戸からは1時間以内に行けるところです。
  兵庫陶芸美術館 http://www.mcart.jp/

  なお、2007年11月14日(水)から20日(火)まで大丸神戸店7階の美術画廊 で展覧会「市野雅彦・陶遊展」・「然(ぜん)」が開催されます。入場は無料ですので興味のある方は行ってみてください。


第二十四夜「土をねる人・・・市野雅彦」
写真:大丸神戸店・市野雅彦展から


Posted by alterna at 14:06│Comments(0)
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