2007年09月21日

第十七夜 「ロダン・ロダン・ロダン(前編)」


写真:「ジャン・ド・フィエンヌ(カレーの市民より)」

写真の彫刻の制作者はロダン。ブロンズで造形されたその人物は、立ち止まり、振り返って「さあ」と後に続く者たちを促しているようです。
行こうとするその先にあったのは、希望でしょうか?
約束された自由でしょうか?
それとも・・・・・。
 
 作品名は「ジャン・ド・フィエンヌ(カレーの市民より)」。〔これは裸体の習作(試作品)のひとつで、実際のものは衣服をまとったものが設置されているようです〕
英吉利と仏蘭西が戦った100年戦争(1337~1453)でイギリス王エドワード3世の軍隊がフランスの港町カレーを包囲しました。エドワード3世は町の代表6名が城門の鍵をもって投降することを条件に攻撃の中止を約束します。フィエンヌは選ばれた6人のなかで最年少の人物で、ためらう5人に「さあ行こう」と促しているかのようです。

 500年の時代を経て、カレー市はこの6人を町の勇気ある英雄とたたえ、その銅像の制作をロダンに依頼しました。しかしロダンは勇気ある町の英雄としてだけではなく、死を前にした人間の、恐怖に向かい合う心も表現したかったようです。両者の思いにはギャップがあり、カレー市が6人の像を市庁舎前に設置したのは1890年頃の作品の完成からずっと後で、ロダンの死後だったようです。

 このエピソードには政治的な立場にとって思い通りにならない芸術の真価のようなものを感じます。
個人的には注文者の意向に忠実に技量で応えることも、また、それを踏まえながらも自分の感性にどこまでも忠実であることも、生き方ですから両方あっていいと思います。ただ芸術家が主体的に選べる環境がその社会にあることは大事だと思います。芸術というのは時としてそれほどに尖っていて、たったひとつの作品が社会や国家にとって猛毒にも妙薬にもなることがあります。真に力のある作家にとっては宿命のようなものです。

フィエンヌの像は100年の時を越え、ロダンの思いをその表情に湛えながら、旧居留地にある神戸市立博物館の玄関で来館者を迎えています。博物館の開館に際して、これからの神戸文化の発展を願って、個人の篤志家から寄贈されたものとききました。
ここでは「さあ!ご覧下さい」と言っているかのようです。


写真:「神戸市立博物館」


なお、神戸市立博物館のある旧居留地は明治の開港とともに設けられた外国人のための区域です。その運営も外国人の自治によってなされていたことから、モダン、ハイカラといった港町神戸の風情をもっとも残す一角として、おしゃれな雰囲気を現代に伝えています。旧居留地が造成されはじめたのは神戸開港と同時であり、当時のヨーロッパの最新の都市計画に倣ったものらしく、今風にいえばデザイン都市の先駆けともいえます。

神戸に上陸した外国人がまず最初に外貨を交換するために立ち寄ったのが、京町筋に面する横浜正金銀行(現:三菱東京UFJ銀行)で、現在では「国際文化交流-東西文化の接触と変容」という旧居留地にふさわしいテーマ性を掲げた神戸市立博物館として運営されています。

この博物館ですが、特別展などで混雑しない時期は結構デートスポットとしていいと思います。静かですし、会話に困れば作品を「ああだこうだ」と言えばいいですし、夏も冬もエアコンが効いていて快適ですしね。
(つづく)


  


Posted by alterna at 11:14Comments(0)